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【戦争】爺様の話【実録】

 

 

久しぶりにうちの爺様(親父の親父)に会いに行ってきたので、それの記録。

 

御年98歳の長寿の爺様です。終戦記念日も間近ということもあり、戦争体験者である爺様から戦争の話を伺った。

 

太平洋戦争は1941年~1945年終結で今年は終戦から71年になる。爺様は23~27歳時に戦争を体験していたことになる。ちょうど今の私と同じ年の頃である。

 

今年98歳になっているが、まったく耄碌しておらず、流暢におしゃべりもするし、記憶もはっきりしている。戦争当時の年月日何時何分まではっきりと覚えているから大したものだ。私はこんな98歳になれるのだろうか。(そもそも98歳まで生きれるかどうか。。。)

 

今日聞いた話。時系列はよくわからないが。

戦争勃発時に志願兵として応募したが、身体検査では身長が足りずに兵隊として入隊できず。身長が140センチ程しかないが、腕っ節は相当に強い。今でも腕相撲で私が勝てるか怪しい。(私は一応柔道初段者であるが)

 

兵隊として入隊できなかったため、軍属として旧日本軍へ従軍。軍属は基地建設したり、雑用したりなどの下っ端らしい。

 

山本五十六と握手を交わした。1943年2月11日12時15分の出来事のようだ。

ちょうど昼飯食べてたら山本五十六が現れ、軍属何名かいるなかで、うちの爺様だけが腕章をしていたため、隊長と間違われ握手をしたそうだ。

 

この2ヶ月後に山本五十六は戦闘機に撃ち落とされ戦死している。

この当時、うちの爺様は作戦の都合でシンガポールに待機していたが、山本五十六の戦死により、作戦中止で広島に撤退した。

 

広島まではタンカーで輸送。移動中にタバコを吸えなかったと文句を言っていた。そりゃ、油に引火したら、タンカー燃えるやん。

 

捕虜のときの話。

場所は聞いたが、忘れてしまったので割愛。

戦火から逃れるときに爆弾の破片が肘に刺さり、逃げる途中の川を泳いで渡れなかった。そのときに死を覚悟したが、敵兵に捕まり、捕虜となる。

川を渡った仲間たちは渡ったあとに戦死したようだ。「爆弾の破片に助けられた」と命の恩人?として今でも大事に持っている。

 

爺様の太平洋戦争時の移動。

中国海南島ベトナムハノイサイパンシンガポール、広島、沖縄、ハワイ。

 

 

まとめ

今のうちにたくさんの話を聞いておかないといけないと感じた。

実際の体験者の話だから、現実味がすごくある。

戦争の悲惨さを後世に伝えるとかの大それた理由ではないが、家族として知っておきたいところ。爺様のルーツを探る的な。

 

 

あとがき

「金武ダムまつり」結局行けなかった。